2011年7月5日火曜日

7月初めの沖縄

7月8日(なはの日)の牧志安里再開発事業のまちびらきに向けて、関係者へのお披露目があった。
久茂地公民館のプラネタリウムにあった光学式の機械。五藤光学研究所製。日本にはこの社とミノルタの2社だけがプラネタリウムの機械を作っている。
新しい機械はデジタル式。旧型は有機的な美しさを感じる。
念願のサザンリンクスゴルフコースでプレイした。
名物の海越えのショートコース。
このあたりは沖縄南部の最後の激戦地。
崖の窪みに逃げ込んだまま多くの人が亡くなったらしい。
昼食は恒例の「ローズガーデン」
どのメニューもおいしい。
夕食は沖縄在住のアーチスト能勢氏ご推薦の Mongolian B.B.Qの店
[GENGHIS KHAN]
北谷町砂部にあるため、米兵が多い。
ジャンクフードで値段もお手頃なので、下級兵士が多い。
肉と野菜をどんぶりに入れる。
何種類もある調味料。シュリンプソースがお勧め。

どんぶりを店の若い子に渡すとあっという間に炒めてくれる。
できあがり。ご飯とビールにはマッチ。
味付けは客の責任でという事か。

テラスホテルグループの最新作 
[THE TERRACE CLUB WELLNESS RESORT AT BUSENA]
に行った。
グループ内で最高値。
早朝6時半から専属トレーナーが約1時間みっちりとウォーキングに連れて行ってくれる。そのあとストレッチ。
朝食はバターをいっさい使わない。
食事のあとはタラソテラピー。
このゾーンはなんと撮影禁止。
昼食をはさんで、15時まで大変満足した時間を過ごした。
認知度が低いのか、高すぎるのか、客はまばら。
まだまだこれから。

夕食は喜瀬別邸のイタリアン。
ここのイタリアンは沖縄で一番レベルが高いと思う。
がしかし、喜瀬別邸は9月に閉鎖、工事のあとリッツカールトンとなる。
ここまでは、沖縄の高級リゾート戦争は国場が金秀に勝ったと言う事か。
この名護市喜瀬周辺はマリオット、リッツ、ブセナテラスと
沖縄で最も高級なゾーンとなる。


2011年6月27日月曜日

6月の北京 天津

天津駅

天津駅の切符売り場。
北京より多くの人の列。
在来線が多いせいか。
和階号
特等(VIP)席からはガラス越しに運転手が見れる。
北京南駅
 北京南駅
北京南駅
北京で会食のあと、最終23時発の天津行き新幹線に乗り遅れた。
しかたなく駅近所の木賃宿へ
この写真はベッドサイドに。
臭くて湿ったホテルであった。
宿が取れなかった連中は翌朝このように。

6月の天津 北京

北京空港から北京南駅までタクシーで1時間。
外気温35° タクシーは節約でクーラーを切っている。
我々を尻目に疾走するナンバープレートのないレクサスの新車。
北京南駅は空港のような建物

 若い女性の職員はいっぱいいるが、中国語しか話せない。
ほんまか?ドイツ製なので本当に320kmえているのだろう。
ホテルはウエスティンホテル天津
へやにはなぜか防毒マスクが。

 夕食は天津の「美千草」
日本人女性が16年前から営業している和食屋。
建物は保存地区内にある張作霖の元別荘

2011年6月6日月曜日

ジェネカーセーリング

今年も天神祭奉納レースに参戦することにした。
恥をかかないように久しぶりにジェネカーを上げた。
気持ちよく よく走る。
 ジェネカーのジャイブは皆さん苦労している。
まだまだ練習が必要だ。
しかし、頼りにしているクルーの皆さんは夏場は木金休み、土日出勤。
今年もやはりビリかなぁ。。。
気を取り直して台湾帰りのM司厨長の料理。
「鶏ミンチのレタス包み 揚げビーフンとともに」
は絶品であった。
 台湾土産のソーセージの油にはまいった。
帰りに大阪大学 神戸大学 近畿大学 甲南大学の練習レースを観戦した。
現在の西宮水域は関学関大の所謂「関関戦」状態になっているようで、
インカレ枠の残り1校を賭けて、この4大学が競っているようだ。
ぱっとしない様子なので、「トップ取れ!」と気合いを入れた。
その後の最終レースは470級は1、2フィニッシュ
スナイプは3.4、7フィニッシュであったそうだ。
よくがんばった。

6月3日

 6月3日は小生の誕生日。
船の仲間が盛大にバースデーパーティーを催してくれた。


吹き消したロウソクはわざわざ SM用を取り寄せていただいた模様。
小生の趣味趣向をはき違えておられるようだ。
とにもかくにも、還暦まであと2年。
ますます「謙虚」に 「素直」に生きていきたい。

首里の住宅

再開発事業が終盤を迎えているので
最近の沖縄出張は余暇がたっぷりある。
修学旅行生たちが押し寄せてくる前に
今日は首里城をゆっくり散策した。


さすがに世界遺産。
本島内のどの遺構よりすばらしい。
尤も本島内の城郭遺構はすべて世界遺産であるが。

首里城周辺は那覇市では最も高級な住宅地。
王様と高級官吏の住宅の跡、その子孫が土地を手放さずに住み続けている。



本島北部の山原地区から苦労して首里の土地を手に入れ、家を建てた人を知っている。
山原(ヤンバル)地区の人間はヤンバラーと言われ、離島の人たち、S会の人たちとともに
首里のコミュニティーには入る事が出来ないそうだ。